戦友の“遺書配達人”が見た生々しい戦争の傷跡 戦争に人生を狂わされた人々を描く『あゝ声なき友』【昭和の映画史】
■亡き戦友の無念と遺族の悲しみ
映画『あゝ 声なき友』で、主人公の西山民次は病気で入院中に終戦を迎える。その間、所属していた部隊は全滅していた。ただ一人生還することになった西山は、12名分の遺書を持ち帰る。帰国すると、西山の家族は原爆で死亡していた。
家族を失い、敗戦後の混乱で仕事もない中、西山はとりあえず担ぎ屋をして生計を立てる。担ぎ屋というのは、生産地から都会などの消費地へ、食料などの闇物資を運ぶ人間のことである。戦地帰りで仕事のない元兵隊にとって、ほとんど唯一の稼げる仕事だった。
この仕事なら自分の都合で休むこともできる。西山は仕事の合間に各地を回って、戦友の家族を探した。そして同じく担ぎ屋をし、夜は体を売っていた女性、花子と暮らすようになる。
だが花子はある日、突然いなくなってしまった。実は、花子は西山が探していた戦友の妻で、西山が亡き夫の家族を探していることを知り、恥じて姿を消したのだった。
一方、戦友の家族を訪ねるたび、西山は苦い思いをさせられることになる。ある戦友の父は戦犯として拘束され、出所したばかりだった。そして「お父さんを憎む」と書かれた遺書を読んで嗚咽する。
ある戦友の姉は恋人を失い、それでも弟と再会を約した場所にとどまっていた。ある戦友の妻は東京大空襲を経験して心を病み、遺書を渡しても何の反応もしない。ある戦友の弟は、引き取られた先で虐待され、一家を惨殺して死刑になっていたのである。
最大の驚きは、家族を訪ねたら戦死したはずの本人、百瀬が現れたことだ。百瀬は年長の召集兵だっため、ひと足先に帰還していたのだった。二人は再会を喜んで酒を酌み交わす。だが百瀬は、西山が遺書を渡しに各地を回っていることを知ると、「忘れてしまえ!」「遺書なんか焼いてしまえ!」と声を荒げた。
その時、西山は自分がどうして、こうまでして律儀に遺書を渡そうと苦労してきたのか、その理由を自覚する。それは怒りだったのだ。満州で死ななくてはならなかった戦友たちの無念が、戦後復興の中で忘れられていくことへの。
この場面が圧巻なのである。渥美はこれを言いたくて、プロダクションまで設立して、自ら主役を演じたのではないか。見慣れた寅さんとは違う真顔が胸を打つ。ぜひ多くの人に観てもらいたいが、権利の関係か、TSTAYA DISCASでのみ視聴可能になっている。

イメージ/イラストAC
- 1
- 2